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My Lost City

 この文章を書き始めた動機は「そもそもceroの『My Lost City』はそんなに素晴らしいのか?」という疑問を抱いたことがはじまりです。自分はceroのファンではないし、この作品の良さもいまいちわかっていないけど、村上春樹の『1Q84』がブームになった時に似た居心地の悪さを感じました。Disったところで得することは一つもないことはわかっています。しかし書かずにはいられないので、この作品に対する個人的な疑問点(そしてそれに対する一つの解)を書いておこうと思います。

 ・そもそもジャンルはなんなのか?

 特定のジャンルを持たない音楽だと思います。青春ゾンビさんの記事には「ジャズやフュージョン、ロック、ソウル、ファンク、ヒップホップ、南米音楽など多くの音楽性が交差するが、これらが別個に飛び出てくるわけではなく、セロの手にかかれば「セロの音」になってしまうという驚きに聴き手は衝突するだろう。彼らは音を自分のものにできるし、音を解き放つこともできる」と書かれ、DJホームランさんのブログには「ムーンライダーズやボ・ガンボスの面影を感じさせる」と書かれています。amazonのレビューには「ペットサウンド、ファンタズマ、空中キャンプ、ターミナルラブ」と書かれています。個人的にはギターロックを意図的に外したポップミュージック、もしくはそれ以降の音楽(ポスト・ポップミュージック?)だと思いました。

 僕個人はCorneliusは聴くけど、フィッシュマンズ、ボ・ガンボスの音楽には苦手意識があり、そのあたりが影響していると思います。強度不足というか、もう少し咀嚼してほしいのですが、「伝わる人たちに伝わればいい」という目的を持って作られたのだとすれば僕の不満は無意味なわけで。DAさんはこの作品を小沢健二の『LIFE』に例えていたけれど、だとすればもう少し歌を重視しても良かったかと。ただの愚痴です。

 ・My Lost Cityとはなんなのか?

 そもそもは他の方のレビューが、この作品の世界観やコンセプト、もしくは時代性に言及したものが多かったのが特徴的でした。青春ゾンビさんの記事には「今作においても彼らの音楽は数多のカルチャーからの引用のパッチワークで成り立っているはずなのだけど、繋ぎ目を感じさせないシームレス加減は絶妙、というよりもはやその繋ぎ目の傷も彼らの血肉である」と書かれています。またDJホームランさんの記事には「我々が暮らすこの世界によく似ている。だけど、ある出来事がきっかけで何かがすっかり変わってしまっている。つまり、パラレルワールド。あり得たかも知れない世界。でも、あるはずがない世界。そんな世界が展開されていく。」と書いています。要約すると、雑食、もしくは数多のカルチャーを紡いでいる音楽であり、空想と現実の境界が曖昧な世界、もしくはあり得たかもしれない世界が「My Lost City」なのでしょう。ここまで書いてようやくわかりました。

 この作品が今のタイミングでリリースされたことも評価される理由になっています。第5回CDショップ大賞の第二次ノミネート作品の中でタワーレコード名古屋パルコ店の仲伏洋史さんは「現実離れした世界が、現実になってしまったあの日。まるであの日のことを歌ったかのようだけど、それを嘆き悲しむわけではなく、前向きにそこはかとなくポップに歌ったひとつの物語」と書いています。またDAさんは「これは今の時代に聴くからこそ余計に楽しめるんだ!」と書いているのに、今の時代に対して一つの答えを提示していることが評価されたのだと思います。

 個人的にこのアルバムが震災の影響を受けたアルバムだということは、他の人のレビューを読むまで気づきませんでした。自分の愚鈍さを痛感させられるからこそ、この作品が苦手、と言うのはただの責任転嫁ですが、それでもやはり少しわかりにくいと思います。そういう音楽が存在することは何も問題はないです。でももう少しお互い歩み寄れれば楽しかったはずなのに。次こそもっと一緒に楽しめればいいなあと。ああ、結局僕はもっと楽しみたかったのだと思います。みんなの話題に入れなかったことが悔しかったというか。(★4)





・参考記事
COOKIE SCENE - 【合評】CERO『My Lost City』(Kakubarhythm / BounDEE)
DJ HOMERUN - ceroの『My Lost City』を聴いた
青春ゾンビ - cero『My Lost City』
DAの今日何しましたか? - 今週何聴きましたか? DISC.110 「My Lost City / cero」編
第5回CDショップ大賞