
とりあえず今更感のある今回のレビューの経緯については以下のまとめをお読み下さい。
・Togetter / 2010年のミスチル『SENSE』をめぐる今更感のあるやりとり
1
まずは『SENSE』についての僕の認識から。どう考えても頭のおかしい人が最高に狂ったタイミングで作られたアルバムだと思う。にもかかわらず、一見サラっとした仕上がりになっている。それが恐ろしい。例えば2013年桑田佳祐はサザンオールスターズを再開し「ピースとハイライト」というサザンらしいポップソングを世に送り出した。でも歌詞をよく読むと領土問題、政府批判などの毒が含まれていた。だけど2010年当時の桜井和寿はその10倍わけのわからないことをしていて、それが2曲目の「擬態」によく出ている。
以下がサビの部分。
アスファルトを飛び跳ねる
トビウオに擬態して
血を流し それでも遠く伸びて
必然を 偶然を
すべて自分のもんにできたなら
現在を越えて行けるのに。。。
トビウオに擬態して
血を流し それでも遠く伸びて
必然を 偶然を
すべて自分のもんにできたなら
現在を越えて行けるのに。。。
「擬態」
わからない。4年経った今でも本当に意味がわからない。「ヤク中?」と言いたくなるくらい僕にとっては理解不能だ。
そんな意味不明の歌詞を極上のメロディーに載せて、聴く人を気持ち良くさせる。これは『SUPERMARKET FANTASY』の「エソラ」や「GIFT」でポジティブな歌詞を力強く歌ったその何倍も気味が悪いことだと思う。でも困ったことに僕はこの曲が大好きなのだ。過去全てをひっくるめて一番好きな曲かもしれない。
この曲を聴いていると、もしかしたら桜井和寿自身が自分でも何を歌っているのかわかっていないのではないか。そう思う。例えば寝る前に思いついたアイディアがm次の朝によくわからなくなることが誰にでもあると思うけど、それに近い。ただ桜井和寿はそういうものさえ歌詞にできてしまう。
2
そして「擬態」の後半で歌われる歌詞がさらに凄まじい。「今でもお前はこれを歌うのか」という内容なのだ。富を得た者はそうでない者より
満たされてるって思ってるの!?
障害を持つ者はそうでない者より
不自由だって誰が決めんの!?
目じゃないとこ
耳じゃないどこかを使って見聞きをしなければ
見落としてしまう
何かに擬態したものばかり
満たされてるって思ってるの!?
障害を持つ者はそうでない者より
不自由だって誰が決めんの!?
目じゃないとこ
耳じゃないどこかを使って見聞きをしなければ
見落としてしまう
何かに擬態したものばかり
「擬態」
富を得た者とは言うまでもなくミスチル自身のことで、その上で世の中に喧嘩を売る。彼が何に苛立ち、何に怒っているのかはよくわからない。だけどサビ同様、そういう毒を含む歌詞が過去最高レベルの極上のメロディーに載せられて、清涼感溢れるアレンジで演奏される。これを無責任と受け取ることもできるけど、正直、僕はワクワクした。
3
実を言うと、『SENSE』収録の大半の曲はまともだと思う。「I'm talking about Lovin'」と「365日」は真っ当なラブソングで、この流れは次作の「Marshmallow day」へと続いていく。より成熟した、大人の視点で歌われたのが「ロザリータ」「Forever」だった。ワンピースの映画の主題歌に抜擢された「fanfare」も少年の背中を押す、真っ当なポップソングだと思う。問題は前述の「擬態」であり、8曲目の「蒼」なのだ。
静かに 密かに 嘘を重ね
淀んだ 時流れに 自由を奪われ
ただただ自分の身の丈を知らされ
それでも心は手を伸ばし続け
ただただ自分の身の丈を知らされ
それでも心は手を伸ばし続け
「蒼」
これらは曲を作り続ける桜井和寿の苦しみがそのまま歌になった2曲だと思う。今までは制作についての想いは「彩り」でこのように吐露していた。
僕のした単純作業が この世界を回り回って
まだ出会ったこともない人の笑い声を作ってゆく
まだ出会ったこともない人の笑い声を作ってゆく
「彩り」(2007)
今まではそんな口触りのいいファンタジーで自分を誤魔化すことができたのだと思う。しかし『SUPERMARKET FANTASY』という大ポップアルバムを作り終えた後、たかが外れてしまった。「fanfare」や「365日」までは我慢できたけど、「擬態」や「蒼」では苦しみや疲労感が溢れ出てしまった。でもそれが僕にとっては真っ当に思えた。
コメント
コメント一覧 (2)
つい先日、REFLECTIONのライブをスカパーで見てミスチル熱にまた火がついたのです。
いろいろ語れれば幸いです!