
三鷹市で殺害された鈴木沙彩さんについて、xvideosに投稿された写真を見た。全部で67枚、基本的にはミラーの前で映された裸の自画撮りの写真が中心。1枚だけ明らかに男が撮ったと思われるセックス最中の写真もあったけど、基本的には彼女のスマホに収められたプライベートな写真だった。この写真を男に送っていたのかはわからないし、男がこれらの写真を盗んだのかもわからない。xvideosにアップロードされた写真が男がアップロードしたのかさえわからない。アカウントのプロフィールでは「Man」と表示されているし、「Last activity」という欄が「3 days ago」になっているから、とりあえず彼女が生きている間にアップロードされたことはわかる。
写真を見た限りだけど、とてもきれいな子だった。水原希子に少し似てる。基本的には興味本位の自画撮りのように見えた。普通に「ちょっと露出度の高いポーズがどう映るか」とか「自分の裸はこんななのか」を写真に収めた感じだった。彼女がどういう性格で、どういうことをしてきて、どういう恋愛遍歴があったのかは知らないし興味もないけれど、少なくても普通の女の子らしい子に見えた。ただ彼女は殺されて、そしてネットに上げられた素材が無闇矢鱈に暴かれている。
★★★
自分は男だから、きれいな女性を見ると単純にうれしくなる。アイドルはそれほど興味がないけど、だからといって興味がゼロではないし、テレビや映画で女優さんの演技を見る。青年マンガ誌にはグラビアが掲載されているし、恥ずかしながらAVも見る。だから女性が裸になったからって価値が下がるとは思わない。むしろそういう女性の行為に救われてきた人間なので尊敬しているくらいだ。ビッチによって救われてきたわけだ。
このニュースを知り、最初に思ったことをtwitterで呟いたのだけど、それがすべてだった。
世の中からきれいな女の子が一人いなくなったことが単純に悲しい
(https://twitter.com/pitti2210/status/387791339943124992)
新聞の死亡欄を見て心を痛めることはないし、交通事故で芸人が無くなったり、小さな子供が突如車がつっこんで死んでしまったニュースを見て心を痛めることはあまりない。死は平等にすべての人に訪れる。そこに幸せや不幸せな形があろうとも、まるでスイッチのON/OFFを切り替えるように人生は終わる。知らない人の死を悼んでも仕方がない。
だけど自分は知りもしない鈴木沙彩さんの死を残念だと思った。xvideosの写真を見ている最中にそう思った。今年はありとあらゆる人間が亡くなり、その中に僕にとって身近な人はいないけれど、それでもニュースに取りあげられるような悲しい死に方をした人もいたし、有名人だって何人も死んでいる。しかしxvideosの彼女の美しい裸体は、それらの悲しみを一気に追い抜いた。
ゲスい。本当にしょうもない。人はそれぞれの人生の歩んできた形通りにしか、何かを悲しむことができないのだ。今年悲しかったことを思い出そうとしたら全然思い出せなくて、藤圭子が死んだ時に「宇多田ヒカル大丈夫かなー」と思ったことや、あまちゃんで震災に入ったとき「ユイちゃん大丈夫かなー」と思ったことしか記憶にない。一つは赤の他人に対する余計なお世話で、一つはフィクションの出来事。人にはそれぞれの悲しみ方があるにせよ、いくらなんでもバーチャル過ぎる。
そして今年3回目に悲しかったことが今回のxvideos騒動だった。これから僕は家庭を持つことで小さい子の死を悲しむようになるかもしれない。自分が中高年になるにつれて年老いた人の不幸な死に共感するようになるかもしれない。今思えば子供の頃、身近な人や愛犬の死で涙を流した。友達の弟の死を悼むことが出来た。どうしてこうなったのか。それを考えても仕方がないし、なるようになるしかない。これからもバーチャルの人の死を悼み、かわいい女の子に救われながら明日を生きていく。
★★★
追記、というほどではないけれど、彼女のブログやxvideosの写真は消去されていた。どういう経緯でそうなったのかはわからないけれど、それを「少し残念」と思う自分がいる。
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