
笑っていいともが終わった。
32年という長い歴史の番組が終わるということは、同時にお昼のあり方を変わることを意味する。
僕はいいともの熱心なファンではなかった。一時期、毎日のようにいいともをつけることはあった、でも最近のいいともはあまり観ていなかった。
しかしいいともがテレビの片隅で続いていることの安心感が心のどこかにあった。お昼にテレビをつければそこにタモリがいる。「タモリも頑張っているから俺も頑張ろう」と思ったことは正直ないけれど、番組が終わってしまったことでタモリがお昼を支えていた事を思い知った。とりあえずいいとものないお昼の時間が、今は膝が震えるほど怖い。
昨日のいいとも特番は見事に奇人変人ばかりだった。
さんま、ダウンタウン、ウンナン、とんねるず、ナイナイ、爆笑問題、それぞれの場所でタモリと同じように司会業を務める彼らが一同に集まった映像は確かに国宝以上の価値がある。
でもそれ以上にレギュラー陣からタモリへのメッセージの歪さが壮絶だった。どう考えても社会に不適合な人たちばかりだ。
前述のレジェンドたちは奇人変人でありながら、それでも人の上に立ち、自分たちの場所を作った。しかし今のレギュラーたちが、もちろん他の場所で活躍しているのは確かだけど、あのいいともという場での素の感じはちょっと異常だと思う。
いいともへの切実な思いを香取慎吾、さまぁ~ず、中居正広がぐちゃぐちゃな思いをそのまま伝えていた。それが昨夜の個人的なハイライトだった。
あれだけ奇人変人が一同に介しながら、お約束事をことごとく潰し、それでいてどこか品のある雰囲気が、そのまま生放送でお茶の間に流れる。そんな奇跡は金輪際テレビでは起こらない。
昨夜の特大号はタモリの生前葬であり、同時にテレビの生前葬でもあった。
だけど楽しかった。本当に久しぶりに夢中になってテレビを観た。
最後のいいともは、今ではありえないくらい展開を掴むのが難しかった。それほどぐちゃぐちゃだった。僕たちにタモリのフリージャズを観る機会は残されているのだろうか。
コメント
コメント一覧 (4)
レギュラー陣のタモリへの感謝のメッセージは、ジョークを交えて話す者、昔のエピソードを引き出して話す者、涙で顔をクシャクシャにして話す者など彼らの人間性が垣間見れて非常に面白かったです。
改めて振り返ると、いいともはその名の通り良い友達の輪を作っていく番組でした。
開始から32年の長い月日が流れ、とてつもなく大きな輪となって現在にたどり着きました。
グダグダ感は目立ったものの、これがいいとものファイナルにふさわしかったのかなと思います。
つまんねーの
途中から世の中の「いいとも」礼賛が凄く、
ちょっと冷めていた自分でした。
そうですね、生前葬という言葉がしっくりくると思います。
何も音が無いから寂しい、という状況を埋めるにはもってこいの
かるーい番組でしたね。
自分は以前、BURRN!やストレンジデイズなどを購読しておりました。
(両方とも批評性は日本としては高いものを持っていると思います。)
僕が離れたのも概ね、同じ理由ですが
やはりネットが発達して
自分で情報を持ってこれる・・・
もっと言えば、メディアが濾過する前の情報を持ってこれる
というのが大きいです。
「何故、その枠の中から選ばなければならないのだ」とふと、思うのですよね。
ただ音楽初心者のとっかかりとしてはこれからも重宝される存在だと思います。
守破離ってやつです。ありがとう、音楽雑誌!
追伸:我がブログにもごくたまにでいいので、お立ち寄りいただければうれしいです。
待っております。JPOP系は日曜日に更新中です。